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『広告』著作特集号 全記事公開

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2020年3月26日に発行された雑誌『広告』著作特集号(Vol.414)の全記事を公開しています。
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2020年7月の記事一覧

34 著作とオリジナリティ 〜 作詞家 いしわたり淳治 × 『広告』編集長 小野直紀

SUPERCARのメンバーとして音楽活動をスタートし、現在は人気の作詞家として幅広いジャンルや年代のアーティストに歌詞を提供しているいしわたり淳治氏。誰もが使うことができる「言葉」というツールを、いかにして自身の「武器」に昇華させているのか。オリジナリティはどこからやってくるのか。そして、作家性と商業性の比重とは。累計600曲以上の楽曲制作をとおして培った作品づくりの思想や態度に、本誌編集長の小野直紀が迫る。 「誰かに似たくない」とかあまり考えたことがない小野:今回いしわた

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35 著作権は文化のためになっているか

著作権は、作品の価値が高まるのを阻害する何かを創作した人が、自分の創作物をコントロールするのは当然だ。なぜなら、それが著作権というものだから。私たちはそう考えるかもしれないが、そもそも著作権とは一体、なんのためにあるのだろうか。たとえば、子どもの頃、誰かがおもしろい遊びのルールや言葉を「発明」すると、みんながそれを真似たり、アレンジして「進化」させたことを思い出す。あるいは、宴席で流行りの芸人のものまねをする人もいるかもしれない。そこに芸人本人がやってきて、「これは自分が考え

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XX 博報堂と著作権侵害

こちらでもふれているように、本記事はもともと『広告』著作特集号(2020年3月26日発行/発行元:博報堂)に掲載予定であった。しかし、博報堂社内の関係各所への確認や調整に想定以上の時間がかかり誌面への掲載を断念。雑誌の校了後も調整を継続し、幾度もの確認・修正の往復を重ねた。そして初稿の完成から約7カ月、ようやく社内調整が完了し、noteにて公開を行なう運びとなった。本記事は全文無料、クリエイティブ・コモンズ・ライセンス「CC BY 4.0(表示4.0国際)」で公開する。 『

XX 広告会社と著作権侵害

本記事は、先日公開した「XX 博報堂と著作権侵害」の公開許可が博報堂からおりなかった場合の代替案として用意していた記事である。博報堂の事例ではなく、報道等で公知となっている国内外の広告会社の事例をもとに一般論として原稿を修正している。自社を棚上げして論じることへの抵抗はあったが、完全なお蔵入りを避ける意図で準備していた。論旨は大きく変わっていないため蛇足ではあるのだが、取り上げている事例が異なるため参考になればと公開を行なうこととした。本記事は全文無料、クリエイティブ・コモン

36 山寨(パクリ) 〜 中国版ウィキペディア「百度百科」より翻訳転載

本稿は、中国版のウィキペディアと言われる「百度百科」の「山寨(「パクリ」を意味する新語)」の全項目(2019年12月26日時点)を翻訳のうえ、編集を加えずそのまま転載したものです。翻訳にあたっては一部意訳を行なっており、文中の「※」は編集部による補足です。事実関係の確認は行っていません。なお、画像は「百度百科」の「山寨(「パクリ」を意味する新語)」画面より引用しています。 「山寨」の記事 引用元:「百度百科」ウェブサイト 山寨(「パクリ」を意味する新語)山寨(シャンジャイ

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37 パクリと中国 〜 パクリ文化研究家 艾君(アイジュン)インタビュー

中国版のウィキペディアと言われる「百度百科」で「パクリ(山寨、シャンジャイ)」の項目を読んでいると、“艾君(アイジュン)”という人物の文章がたびたび引用されていることに気がついた。検索してみると、新聞記者や雑誌編集者などを経験し、“パクリ文化研究家”としても知られている人物と判明。中国の“著作”や“パクリ”について、どのように捉えているのだろうか。「微博(ウェイボー)」からメッセージを送ると、快く取材を受けてくれた。 取材場所として事務所か自宅を希望すると、北京市郊外にある

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38 中国と日本の「ホンモノとニセモノ」 〜 陳暁夏代インタビュー

日本と中国それぞれのバックグラウンドを持ち、コンサルティング事業などを手がける陳暁夏代氏は、中国社会におけるパクリをどう捉えているのか。幼少期には、周囲にパチモノのミッキーマウスやドラえもんが存在したというが、“ニセモノ”であると意識したのは、中学生ぐらいからだという。 「同級生から『そのミッキー、超ブサイク。ダサいじゃん』って言われ始めたのが、中学生の頃。それまでは、ホンモノもニセモノもあまり区別なく捉えていました」 間もなく、両者の区別は“大人の事情”に過ぎないと気が

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39 椅子にとって著作とは 〜 ウェグナーの『Yチェア』に見る、椅子のオリジナリティ

プロダクトデザインの歴史のなかで、椅子というアイテムは長く特別なものと位置づけられてきた。時代、地域、階層などを超え、椅子が幅広い人々にとって日用品でありつづけてきたことが大きな要因だろう。人々が日常的に触れ、座り、間近で目にすることから、その機能性や審美性は誰にとっても意識しやすい。また住空間だけでなく仕事場や公共施設にも欠かせないプロダクトであり、産業としても充分な規模がある。こうした点を背景に、椅子のデザインは豊かに発達し、無数のバリエーションを生み出してきた。このテキ

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40 引用なき名作は存在しない 〜 映画における「昇華行為」と「オマージュ」

映像演出の仕事に携わっていると、撮影前の打ち合わせなどでクライアントから「リファレンスの動画があれば見たいです」と言われることが頻繁にある。それとは別に、自らほかの作品を参考にしたり意図的に取り入れたりすることもある。もちろん、そのまま真似することはないが、色味やある一瞬のカメラワークといった断片的な情報を、様々な作品から取り入れるという行為が、映像というジャンルにはあたりまえのように存在する。それは、巨匠と呼ばれる監督たちにおいても積極的に行なわれており、映像制作における手

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41 文壇のヒエラルキーと「パクリ」の境界線 〜 小説家 島田雅彦 インタビュー

長年、書店で働いていると、本が好きな人によく出会う。同僚、お客様、友人問わず、気がつけば、読書家ばかりに囲まれていると感じる。大抵は私と同じように「どんな本でもおもしろければ読みたい」という人ばかりだが、ときどき、こう言われることもあった。 「そんな本ばっかり読んでないで、ちゃんとした作品も読みなよ」 噛み合わないなあ、と思った。「そんな本」って、バカにしたような言い方、しなくていいのに。大多数ではなくとも、文学的価値の「上か」「下か」で作品を判断し、より上に位置する作品

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